雑記・備忘録

文章を書く練習

少年時代

暑い。

人類は肉体の進化を文化の発展によって補完してきたと言うが、もはや身一つでこの環境を過ごすことは出来ないのではないか。しかし文明が冷房を提供する一方で、この暑さの中我々に服を着て活動することを強いていると云うのは、如何ともしがたい矛盾ではなかろうか。


ともあれ、紛う事なき夏が到来した訳だ。
僕は基本的に冬や夏はあまり好きではない。まあ僕に限った話ではなく、極端な暑さや寒さよりも春や秋の過ごしやすさが好みだという人が多いだろう。幼い頃は夏と言えば冒険の季節であったが、今やプールや虫取りに胸を躍らす事もなく、蚊に刺された箇所に眉をしかめながらキンカンを塗るばかりだ。


そんな季節ではあるが、言葉にしがたい魅力を持っているのもまた事実ではなかろうか。


井上陽水の「少年時代」という有名な曲がある(風あざみって何なんでしょうね)。あるいは「菊次郎の夏」の主題曲である「summer」なんかでも良い。ここで魅力を力説する様な事はしないが、両方とも僕の好きな曲だ。夏を標榜するこれらの曲の優しげでどこか儚い曲調には強く感情を揺さぶられる。その感情の芯を捉えた言葉は、やはり「懐かしさ」以外に無いだろう。


(全くの余談だが、最近エモいという言葉を耳にする。「夏はエモい」と言えばこの記事は一行で終わるのだが、感情の揺れ幅と大体の方向性こそ指し示せても全く繊細さに欠けるこの表現を僕はあまり好かない)


このうだる様な暑さの中で懐かしさという感情をどうしようもなく掻き立てられるのは、多くの人に共有されている感覚であると思う。よくノスタルジーなんて呼ばれるアレだ。この感覚の犯人が「子供の頃の夏休みの思い出」である事は想像に難くない。一ヶ月と少しの間に多くの体験を身体に刻みこんだのだ。夏の暑さに揺さぶられて当時の記憶が目を覚ましてもおかしくはないだろう。


しかし主犯格はそうであっても、犯人はそれだけではないのではなかろうか。


例えばだが、夕暮れの縁側でスイカでも齧る風景を思い浮かべてみて欲しい。懐かしさや、それに近い感情が湧いてくる筈だ。しかし考えてもみれば、今どきの都会っ子にそんな経験があるだろうか。僕もスイカはあまり好きではないし、第一実家はマンションだから縁側なんて勿論無い。にもかかわらず、そういう風景を想像しただけでも懐かしさや、或いはアンニュイさや厭世感に襲われるのはどうしたことか。


きっと、この季節の魔力とでも言うべき物の為せる業なのだろう。勿論何かアカデミックな理由はあるのかもしれない。が、それを解き明かそうというのは無粋な話だろう。神秘性は未知の物に対してこそ感じる魅力なのだ。

 


夏は幼少期を思い出す、という話を踏み台に別の事について書くつもりだったのだが、前置きが長くなってしまった。実質は最初の記事なので、今回はここで終わってまた別の機会にでも書きたい。

 

 


まあ夏はエモいという話だ。